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学校から新しい風を!

2011年 02月 12日 ( 4 )

2月12日 穐吉さんとの思い出(2)

今から11年前のこと。
当時、私は、大阪府枚方市の樟葉という町に住んでいました。
ある日、地域の公民館の催しが掲載されている広報誌を何気なく見ていると・・・。
「ん???・・・・」
という記事に目がとまったのです。

そこには、
「穐吉敏子ジャズピアノコンサート」と書かれていたのです。
でも、場所は、「牧野公民館」となっており、料金も「1500円」と書かれていたのです。
「穐吉敏子って、あの穐吉敏子さんのこと・・・・なわけないよなあ。公民館で、しかも、1500円の料金で、穐吉さんのピアノが聴けるわけないもんなあ・・・。」
と思ったものの、
「でも、ジャズピアノって書いてあるよなあ。いくら何でも、同姓同名のジャズピアニストなんているかなあ。」
と、ぶつぶつ言っていますと、妻が隣から、
「そんなに気になるなら、電話してみたらいいじゃない。」
と。

で、電話をしてみることにしました。
「もしもし、あのうちょっと教えていただきたいのですが、広報誌に、そちらの公民館で、穐吉敏子さんのジャズピアノコンサートがあると書かれていたんですけど、穐吉敏子さんって、あのアメリカで活躍されている穐吉さんのことなんでしょうか?」
「はい、そうです」
「えっ、本当に、あの穐吉さんが、公民館に来られるんですか?」
「はい、そうです。」
「いや、・・・・すごい。あの、行きたいです。チケット、申し込みます。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大学の頃は、本当にジャズばかり聴いていた。
ビッグバンドのようなものはあまり聴くことはなかったのだが、穐吉さんは、別格だった。
私が特に好きだったのは、偉大なるベース奏者チャールス・ミンガスに捧げた「フェアウェル」というアルバム。
その中の、「春の海」をモチーフにして創られた「秋の海」という曲は、もうレコードが擦り切れるほど聴いたものだ。
大学で教育実習に行くまでは、ジャズ喫茶のおやじっていうのもいいかも、なんて思っていたほどです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ねえねえ、穐吉さんだったよ。凄いよ。」
と興奮して妻に報告しながらも、どうにも腑に落ちません。
「何で、公民館で演奏してくれるんだろう?」
そして、・・・・・
「公民館で演奏してくれるのなら、ひょっとして、学校でも演奏してもらえないだろうか。」
「もし、穐吉さんが学校に来て、演奏してくれたら、どうだろう。」
妄想はどんどん広がります。

翌日、私は、もう一度、公民館に電話をしてみることにしました。
「あのう、穐吉敏子さんのコンサートのことで、教えて下さい。どうして、アメリカの穐吉さんを公民館にお呼びすることができたんですか?」
「ああ、それはねえ、うちの職員が穐吉さんと知り合いなんですよ。」
「えっ、あのう、その方、今、おられますか。」
「はい、いますよ。代わりますか?」
「はい、お願いします。」
「はい、お電話代わりました。」
「あのう、穐吉さんを呼ばれたんですよね。あのう、私、小学校で教師をしています。穐吉さんのピアノ、子ども達に聴かせたいです。穐吉さんと話をさせてもらうことってできますか?」
「・・・・・・・・・・・。コンサートには来られますか?」
「はい、行きます。」
「じゃあ、少し早めに来て下さいよ。ほんの少しなら、時間とれると思います。そこで話されたらどうですか。」
「はい、ありがとうございます。」

翌日の朝、校長室へ。
「校長先生、お話があります。」
「なんだい。」
「あのう、来年の音楽鑑賞会にジャズピアニストの穐吉敏子さんをお呼びしてもいいですか。」
「ん?穐吉敏子さんて、あのビッグバンドをされている穐吉さんのこと?」
「はい、そうです。」
「そんな凄い方が来てくれるの?」
「いえ、まだ何もお話してません。お話する前に校長先生に確認をとっておこうと・・・。」
「いや、君、そんなこと、無理でしょ。」
「はい、でも、話をしてこようかと・・・」
「話をって、穐吉さんと話ができるの?」
「はい、できることになりました。」
「まあ、話をしてみたら。もし、そんなことが可能なら、そりゃ、凄いよ。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今、考えと、なぜ、そんな行動ができたのか、意味不明です。
今なら、絶対にしない。というか、できない。
無謀ですよね。

そして、コンサート当日。
約束通り、私は開場1時間前に、牧野公民館に到着した。

(以下、次号に続く)
by sitoi | 2011-02-12 22:46 | Comments(2)

2月12日 通崎睦美さんの新刊

通崎睦美さんの新刊「天使突抜367」が発売になる。
この本は、通崎さんが自宅近くの古家を購入され、その家をリフォームされていく過程を記録されたもの。
ブログで、その過程を拝見していたので、とても楽しみ。

通崎睦美さんのことは、不思議なことに、田舎の母も知っていた。
それは、マリンバ奏者の通崎さんのことではなくて、着物コレクターとしての通崎さんであり、エッセイを書かれる通崎睦美として、だ。

今、通崎さんの新刊を、ブログを通して購入すると、通崎さんのポストカードがついてくる!
ファンである私は、たった今、ブログから購入の手続きを済ませたところだ。
限定100冊である。是非、皆さんも!

お薦めのCDは、これ!
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エッセイを読みたい方は、最初に出版されたこちらがお薦め!
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で、今月は、こんな素敵なコンサートも開催されます。
私は、たった今、申込みを済ませました。
まだ、間に合いそうです。

以下、通崎睦美さんのブログから転記

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用開始

茶道資料館♪通崎睦美マリンバコンサート♪
2011年2月24日(木)
開場 18時.開演18時30分(約40分)

♪会 場 裏千家センター1階ホール

♪入場料 入館料のみ(一般500円・大学生400円・中高生300円 )

*小学生以下、茶道資料館友の会会員、茶道資料館メンバーシップ校は無料

♪申し込み方法 電話またはFaxで受け付けます
(要予約・先着100名様)

♪茶道資料館は美術館です。コンサート当日のみ開館時間を18時20分まで延長し、コンサート終演後も約30分開館いたします(呈茶は16時迄)。当日はコンサートと新春展「近代茶道の先駆者 玄々斎と又日庵」をご鑑賞ください。

申し込み先 茶道資料館(ちゃどうしりょうかん)
〒602-8688 京都市上京区堀川通寺之内上る 裏千家センター内
電話075−431−6474 Fax075−431−3060

・・・・・・・・・・・・・・・引用終了

通崎さんのマリンバ演奏は、軽やかなステップで、まるでダンスのよう・・・。
そして、マリンバの音色は、なんともいえない響き・・・特に低音の音が好きです。

通崎睦美さんのブログは、こちらです!
by sitoi | 2011-02-12 09:47 | Comments(0)

2月12日 太平洋の奇跡

昨日は、結局、夕方になってから、妻と二人で映画館へ。
見たかったのは「太平洋の奇跡」。今日、封切りの映画だ。

この前の授業で扱った横井正一さんのことが重なってくる。
見終えた後、妻と、
「やはり、いつの時代でも、正しい判断ができる人っているんだなあ。凄いねえ。」
と話し合った。

明治時代以降の歴史学習の多くは戦争に関することだ。
短絡的に、「ああ戦争ばかりして駄目だなあ」ではよくないだろう。

その時代に、いろんな人がいて、いろんな人がいろんなことを考えて行動して・・・

「太平洋の奇跡」・・・・とてもいい映画でした。
ああ、やっぱり映画はいいなあ、と思う。
映画館で見た後、いつも思うのは、DVDじゃなくて、映画館に足を運ばなきゃ駄目だなあっていうこと。

50歳を超えた今、夫婦割引で、二人で2000円ですからねえ・・・。
by sitoi | 2011-02-12 09:01 | Comments(0)

2月12日 穐吉さんとの思い出(1)

前回、学校鑑賞会という場に、一流アーティストを招くことができないだろうかと考えたというくだりまで紹介しました。
しかし、だからといって、すぐに穐吉敏子さんをお招きしようと考えたわけではありません。

穐吉敏子さんと書いても、ジャズに興味がない方にとっては、「誰、それ?」ということでしょうから、Wikipediaにから引用したいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用開始

龝(穐)吉 敏子(あきよし としこ、Toshiko Akiyoshi、1929年12月12日 - )は、ニューヨーク在住の日本人ジャズピアニスト、作曲家、編曲家、ビッグバンドリーダー。

来歴 [編集]

中国東北部(満州)の遼陽に日本人の両親の元に生まれた。小学1年生のときに3年生が弾く『トルコ行進曲』に魅せられ、小学1年生でピアノを習い始める。後に女学校に通うためと、より良い教師にピアノを習うために大連に移り、大連音楽学校で中国人の楊孝毅にピアノを習う。敗戦後に大分県に引き揚げ、別府の駐留軍キャンプ「つるみダンスホール」でジャズピアニストとして演奏を開始。

1948年夏に上京して、1952年コージー・カルテットを結成。1953年に来日したオスカー・ピーターソンの勧めでレコード『トシコ』を録音。

1954年7月、伊勢佐木町のクラブ「モカンボ」で、守安祥太郎を中心に行われた伝説的なジャム・セッションに参加。その時の音源は、1970年代に発掘・発売される。

1956年、26歳で単身渡米して、日本人としては初めてバークリー音楽院(Berklee College of Music、現バークリー音楽大学)で奨学生として学ぶ。1962年、チャールズ・ミンガスのバンドに参加。1963年、最初の夫チャーリー・マリアーノとの間に娘のマンディ満ちるをもうける。1965年離婚。

1967年に現在の夫でありフルート、テナーサックス奏者のルー・タバキンと出会い、1969年結婚。1973年にロサンゼルスで秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンドを結成し、1974年、ジャズと日本古来の和楽を融合した『孤軍』を発表する。1982年にはニューヨークへ戻り、1983年に秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・タバキンを結成、自らの作編曲で通算30年にわたって活動を続け世界的に名声を馳せた。その評価と人気を示すものとしてアメリカのジャズ専門誌ダウンビートでは秋吉とルーのビッグバンドは批評家投票で1979年から5年連続、読者投票では1978年から5年連続で共に1位を獲得している。

1996年度に主にその著書『ジャズと生きる』で第9回ミュージック・ペンクラブ・ポピュラー部門最優秀賞を受賞。2003年12月29日、ニューヨークのジャズクラブバードランドでの演奏を最後にオーケストラを解散した。

2004年6月-7月にはNHK人間講座で講師を担当。2005年1月27日、米国を拠点にピアニスト、ビッグバンドリーダーとしてジャズ発展に寄与した功績が認められ、朝日新聞文化財団の朝日賞(04年度朝日賞)を受賞[1]。東京・日比谷の帝国ホテルで開かれた受賞祝賀パーティーでは、木更津甚句に想を得た「ザ・ヴィレッジ」、「ヒロシマ そして終焉(しゅうえん)から」の最終楽章「ホープ」、「鞠と殿さま」の3曲を、ソロで演奏した。2006年12月、キャリアにおいて初となるシングル「HOPE 希望」を発表。現在はソロなどで活動中。

受賞歴 [編集]

リバティー賞(1986年)
エイボン アワーズ・トゥ・ウィメン エイボン芸術賞(1997年)
紫綬褒章(1997年)
第48回横浜市文化賞(1999年)
大分合同新聞文化賞(1999年)
ジャズの殿堂(International Jazz Hall of Fame)入り(1999年)
第16回東京都文化賞(2000年)
ラトガース大学ジャズ研究所・ニュージャージージャズ協会殿堂入り(2000年)
平成16年度国際交流基金賞・国際交流奨励賞(2004年)
2004年度朝日賞(2005年)
ジャズマスターズ賞(2006年)
他多数

アルバム [編集]

秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンド

孤軍 - Kogun(1974年)
ロング・イエロー・ロード - Long Yellow Road(1975年)
花魁譚 - Tales of a Courtesan (Oirantan)(1975年)
ロード・タイム - Road Time(1976年)
インサイツ - Insights(1976年)
マーチ・オブ・ザ・タッドポールズ - March of the Tadpoles(1977年)
ニューポート'77 - Live at Newport '77(1977年)
ライヴ・アット・ニューポートII - Live at Newport II(1977年)
塩銀杏 - Salted Gingko Nuts(1978年)
すみ絵 - Sumi-e(1979年)
フェアウェル - Farewell(1980年)
トシコから愛を込めて - From Toshiko with Love(タヌキの夜遊び - Tanuki's Night Out)(1981年)
メモワール - European Memoirs(1982年)

秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・タバキン

テン・ガロン・シャッフル - Ten Gallon Shuffle(1984年)
ウィッシング・ピース - Wishing Peace(1986年)
カーネギー・ホール・コンサート - Carnegie Hall Concert(1992年)
砂漠の女 - Desert Lady / Fantasy(1993年)
フォー・シーズンズ - Four Seasons of Morita Village(1996年)
モノポリー・ゲーム - Monopoly Game(1998年)
トリビュート・トゥ・デューク・エリントン - Tribute to Duke Ellington(1999年)
ヒロシマ そして終焉から - Hiroshima Rising from the Abyss(2001年)
ベスト・オブ・秋吉敏子(2002年)
ラストライヴ・イン・ブルーノート東京 - Last Live in Blue Note Tokyo(2004年)

ソロ・トリオ等

アメイジング・トシコ・アキヨシ - Amazing Toshiko Akiyoshi(1953年)
ザ・トシコ・トリオ - The Toshiko Trio(1956年)
メニー・サイズ・オブ・トシコ - The Many Sides of Toshiko(1957年)
トリオ&カルテット - Toshiko her trio her quartet(1957年)
トシコ・マリアーノ・クワルテット - Toshiko Mariano Quartet(1960年)
ライブ・アット・バードランド - Toshiko Mariano Quartet Live At Birdland(1961年)
黄色い長い道 ‐ 秋吉敏子リサイタル - Toshiko Akiyoshi Recital(1961年)
トシコ、旧友に会う - Toshiko Meets Her Old Pals(1961年)
イースト・アンド・ウェスト - East and West(1963年)
魅惑のジャズ(1963年)
トシコの子守歌 - Lullabies for You(1965年)
トップ・オブ・ザ・ゲイトの秋吉敏子 -Toshiko at Top of the Gate(1968年)
ロング・イエロー・ロード - Long Yellow Road(1970年)
ソロ・ピアノ - Solo Piano(1971年)
デディケイションズ - Dedications(1976年)
フィネス - Finesse(1978年)
ジャスト・ビバップ - Just Be-bop(1980年)
秋吉敏子トリオ(1983年)
四季 - Four Seasons(1990年)
リメンバリング・バド - Remembering Bud(1990年)
シック・レディ - Chic Lady(1992年)
ディグ - Dig(1993年)
ナイト・アンド・ドリーム - Night and Dream(1994年)
イエス、アイ・ハブ・ノー・フォービート・トゥデイ - Yes, I Have No 4Beat Today!(1995年)
トシコ・プレイズ・トシコ - Toshiko Plays Toshiko(1997年)
ジャズ・アット・オペラ・ハウス (オムニバス) - Jazz at Opera House(1997年)
ベスト・シルバー - Best Silver(1998年)
スケッチ・オブ・ジャパン - Sketches of Japan(1999年)
ソロ・ライブ・アット・ケネディ・センター - Solo Live at the Kennedy Center(2000年)
ジャパニーズ・トリオ フィーチャリング 日野元彦 ライヴ・アット・ブルーノート東京1997 - Japanese Trio Live at Blue Note Tokyo 1997 Featuring日野元彦(2001年)
Country & Western Sound of Jazz Pianos(2002年)
ニューヨーク・スケッチ・ブック - New York Sketch Book(2004年)
Hope~活動60周年記念コンサート~
秋吉敏子 渡米50周年 日本公演
TOSHIKO AKIYOSHI AND THE SWR BIG BAND~LET FREEDOM SWING(2008年)
VINTAGE SUPER DUO TOSHIKO & LEW(2008年) 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用終了

お分かりいただけたと思いますが、そう、まさしく「世界の穐吉」と呼ばれる方なのです。
そんな方をなぜ呼ぼうとしたのか?
そして、なぜ、呼べたのか?
それは、ある日ふと目にした地域の広報誌がきっかけだったのです。

(以下、次号へ続く)
by sitoi | 2011-02-12 08:51 | Comments(0)

E-mail:susumu422☆gmail.com(☆を@にしてください。)