2006年 10月 22日
10月19日 児童会選挙
我がクラスからは二人の女子が立候補。
お隣のクラスも女子が二人、立候補。
5年生は4名と決まっているので、今回は、いわゆる信任投票の形だ。
それでも、4名の立候補者は、ポスターを書き、演説文を考え、今日に備えてきた。
今回、何やらバタバタとした日が続き、昨日、立候補者と応援者(応援演説がある)には、それぞれ文を書く時間は用意してあげたのだけれど、きちんとサポートしてあげることはできなかった。
選挙が始まった。
どの立候補者も真面目に、立候補した理由、当選したらやりたいことを語り、とても好感が持てた。
しかし、問題は、その後だった。
体育館で、選挙は行われたのだけれど、そのまま、そこで選挙することになっていた。
子ども達のもとに、立候補者の一覧が配られ、信任する場合は○印をつけることになっている。
信任投票の意味、○のつけ方については、その場で、担当の先生から再度、説明がなされた。
なのに、見てまわると、○をつけていない候補者がある子が何人もいるのだ。
もちろん、信任投票なのだから、○をつけない候補者がいてもいいのだ、いいのだけれど・・・。
○をつけていない子に、聞いてみた。
「何で、××さんには、○印をつけてないの?」
「えっ、きらいだから・・・」
「きらいだから?それは、違うだろ!」
「好き嫌いじゃなくて、今の演説を聞いて、児童会の仕事を任せられるか、どうかを判断するんでしょ。信任って、「信用、信頼して」「任す」って意味でしょ」
とりあえず、様子を担当の方に伝え、再度、信任投票の意味を全体に伝えてもらい、選挙を終えた。
このことは、子ども達の問題もあるが、今回の選挙が、クラスの取り組みや学校の取り組みとして弱かったことにも起因していると想う。
結果的には、勿論、立候補者全員が、過半数の信任を得て、当選ということになったが、少し整理して考えていかねばと思った次第だ。
私は、小学生の時、児童会選挙で会長に立候補し、見事(?)、落選した経験がある。
落選したけれど、給食時間に各クラスを回って選挙活動したこと、みんなの前で選挙演説をしたこと、投票結果を見て悔しかったこと等々、いい思い出として心に残っている。
いろんな活動を失敗も成功も、いい思い出として子ども達の心に残してやりたいと思う。
そのために、必要なことは、ふざけないということだと思っている。
ふざけるというのは、私が、子ども達に指導する時は、「ルールを破って好き勝手に行動すること」として使う。そうではなくて、楽しむ、ということを教えなくてはならない。
楽しむとは、「ルールを守って好きに活動すること」として、使う。
いくら、子ども達の前に魅力的な活動を提示しても、子ども達が「ふざけて」しまっては、もともこもないのだ。しかも、この「ふざけ」は、瞬く間に、子ども達の中に伝染していくことを私達教師は知っている。