2011年 12月 23日
12月22日 なぜ学級崩壊しなかったのか?
1月の「明日の教室・大阪分校」で話をするために、昔に書いた資料などを読み返したりしている。
最初の勤務校には、6年お世話になった。
担任したのは、1年・2年・3年・5年・6年・4年。何と全学年を担任させていただけた。
次の勤務校は、7年。
担任したのは、5年・6年・4年・5年・6年・5年・6年。
通常は、一つの勤務校は6年勤務が普通なのだが、5年生を担任する時、持ち上がりさせていただけるならという話を校長として、了解を得た結果、7年勤務となった。
次の勤務校も、7年。
7年になった理由は、前回と同じ。
担任したのは、3年・5年・6年・5年・6年・5年・6年。
次の勤務校は、5年。
理由は、7年の逆・・・かな。
担任したのは、5年・6年・4年・5年・6年。
公立最後の学校は、たったの2年となってしまった。
担任したのは、6年・3年。
そして、本校に勤務して、2年目を迎える。
担任したのは、6年・6年。
で、29年の教師生活。
そのうち、赤字にした高学年を担任したのが、何と、21年間。
これは、かなりの年数だろう。
公立小学校時代は、「持ってくれ」と校長から頼まれ、それに応えているうちに、こうなってしまった。
「あの人が持つと無理だなあ」と分かってしまうのだ・・・。
高学年の担任は、難しい。
しかも、5年と6年でも、違う。
一番危険なのは、単発で6年を担任する場合だ。
なぜ、学級崩壊せずに、これだけの回数をこなせてきたのか。
そのことを私は、若手に伝えていく必要があるのかな、と思う。
同時に、なぜ、大丈夫だと思われていた教師のクラスが崩壊してしまうのかも・・・・。
1月は、そんな話もしてみたい。そう思う。