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学校から新しい風を!

6月10日 その価値は子どもが決める

一昨日、樟葉の駅で電車を降り、改札を出ようとすると、目の前に娘が。
「あっ!」
と、思わず、お互いに驚きの声。
偶然、帰宅時間が重なった次第だ。

で、駅から、二人で家まで帰ることに。
「そうそう、今日、何かパパのクラスの人に会ったよ」
「?」
「学校で、国際交流委員会(と言ったような・・・)に出た時、中一の人も来てて、こっちをチラチラ見てるから何かなあと思ってたら、終わったら声かけてきたよ」
「へえーっ」
「糸井先生の娘さんですか。私たち、糸井先生に担任してもらってました○○ですって。」
「ほぉーっ。まあ、仲良くしてやってよ」
「あぁ、で、パパのこと、優しかったって言ってたで」
「へえっ、それはそれは・・・」

たぶん、以前の私なら、子ども達の評価の言葉は、「怖かった」「厳しかった」だろう。
そういう役を担ってきた。

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今日、クラスの数人の子ども達と休み時間に話をした。
教科担任という形では、クラスの子ども達と話をする時間もままならない。
で、「クラスの様子」について、交流した(というイメージ)。

で、ついでに、昨年のクラスの様子についても交流。
「こんな時は、こうして、うまくいった」
「今年も、昨年やっていたあれをやってみたい」
「こんな時に、先生に叱られた」
等々・・・・・・・・・・・・・。

聞いていて、意外だったとがあった。
それは、「あまりうまくいかなかったんですよ」と話を聞いていた先生のやり方が支持を得ていたということ。
「そうか、そういうことか」
と、一人納得したいた。

たとえば、こういうことがある。
「ああ、今日の授業はうまくいかなかった」と思っていたが、実は、その授業が意外に子ども達の心に届いており、子ども達の意欲的な活動へと展開していったというような授業。
そう、授業はきっかけだ。
特に、私は社会科の授業は、そうだと思っている。

反対に、その授業自体は、結構盛り上がり、うまくいったと思っていたのに、その後の展開が全くない授業。
もちろん、良い授業だったのだろうが・・・。

つまり、その時だけでは評価しきれないものがある。
そして、評価するのは子どもなのだということ。

だからこそ、教師は単純に一喜一憂してばかりいても駄目だということ。
その一つの出来事がどう先に繋がり、どうなっていくのか・・・そういうことだ。

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プロとアマの違いを野球に喩える方がいらっしゃる。
なるほどと思った話なので、紹介しておく。

例えば、野球。
アマの場合。たとえば、高校野球。今日負ければ終わり。
だから、今日勝つことだけに全力を尽くす。

プロの場合。一年間をどう戦うかが問題。
全試合勝つことなど無理。一年間で、70勝(くらいかな)をどうあげるかが問題。
だから、負け方も大事。明日に繋がる負け方をすることが大事。

私達はプロだ。
見据えるのは一年後であり、単なる一時間の授業がどうのこうのではない。
by sitoi | 2011-06-11 09:49 | Comments(0)

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