2010年 04月 25日
4月23日 4年目の春
誰が、何と言おうが、それは、自分自身が一番よく分かっています。
分かってはいるが、やりたいことはあるのです。
そして、そのやりたいことを自分1人では担えないことを知っています。
「明日の教室」を立ち上げて、4年目の春。
立ち上げの年から、毎年、御登壇いただいているのが、野中信行先生です。
何度でも書くが、私は、野中先生と一緒に仕事がしたかったのです。
野中先生は、私にとって、雲の上の方であり、憧れの方なのです。
今年も、4年目を迎える「明日の教室」のオープニングに野中先生に御登壇いただけることになりました。
しかし、私は、立命館小学校での勤務状態が分からない状態で、日程を決めてしまっていたので、ひょっとして、4月は私が参加できるかどうか、分からない状態でした。
そこで、野中先生に前日から京都にお越しいただき、金曜日の夜、夕食を御一緒させていただくことにしました。
平日の夜なら、何とかなるだろうと踏んでいたのです。
それが、今日・・・。
何と、24日は、恐れていた通り、出勤日で、初めての参観日、学級懇談会でした。
で、前日の23日は、明日の準備とあって、19:00前になっても、ほとんどの教師が準備に余念がないという状況でした。
副担の先生が、
「糸井先生、明日のために、何か用意することありますか?掲示なんかでやっておくことありませんか?」
と、声をかけて下さる。
私は、
「・・・・・、ないです。大丈夫です。」
と答えました。
学校を替わろうと、この部分のポリシーを変えるつもりはありません。それは、
「人に見られても、見られていなくても、同じことをする」
ということです。
見られて困ることはしない。見られるから、付け焼き刃で、取り繕うようなことはしないということです。
19:00に、「お先に失礼します」と、教員ルームを出ました。
駆け足で、電車に乗り、木屋町へ。
少しは、京都らしい店でと、一ヶ月ほど前に予約を済ませておいた店です。
池田先生@京都橘大学と野中先生の三人で、一献。
あれやこれやと教育談義に花が咲く。
・・・・幸せな時間でした。
途中、岐阜から長瀬さんが合流。
立て続けに4冊の本を出版した、教育界のホープです。
長瀬さんは、第一回目の「明日の教室」から参加いただいている。
4年目の春を迎える教育研究会「明日の教室」は、明日、32回目となります。