2013年 04月 08日
4月8日 東京ディズニーランドから学んだこと
ということで、子ども達との二日目は小休止。
明日は、いよいよ勝負の学活。
公立の小学校に勤務していた頃は、最後まで、この日は眠れない日々を過ごした記憶がある。
「ああして」「こうして」「ああなったrこうで」「こんな場合はこうして」・・・・。
子ども達との対応を考え出すと、不安で眠れなくなるのだ。
また、眠れるようになってしまったらおしまいだな、とさえ考えていた。
今は、だから駄目だったんだなと思う。
いや、駄目というのは違うか。
学級崩壊を起こしたことなどないし、それぞれいいクラスだった、と思う。
だが、私が今求めているのは、公立時代をはるかに超えたクラスだ。
だから、眠れないなどと言っていては駄目なのだ。
つまり、こういうことだ。
東北の震災が起こった時、大パニックとなり、その対応の難しさが問題となった。
その時、対応の素晴らしさが報道された一つに、東京ディズニーランドがある。
東京ディズニーランドでは、「全てはゲストの安全のために」とキャストが臨機応変に動き出したのである。
震災後の報道では、東京ディズニーランドでは頻繁に避難訓練が実施されていたことも報道されていたが、着目すべき点は、そこでは」ない。
キャストが自由に「ゲストの安全」という目的のために考え動けたという点だ。
裏返せば、「動いていいという権利を与えられていた」ということなのである。
思ったことを行動に移せる職場であるということだ。
通常は、マニュアルが最優先で融通をきかせるなどということはできないのではないだろうか。
私は、この東京ディズニーランドのキャストのような集団であってほしいと思う。
ならば、そこには、子ども達が自分達の考えを出し合える自由さが必要となる。
マニュアル通りに動かせば、そこには大きな失敗はない。
けれど、そこには、私の想像を遙かに超えた子ども達の姿もないことになる。
今、私は、こう考えている。
子ども達を信じてみよう。
そして、子ども達の考えに寄り添って、間違った方向に進みそうな時に修正してやればいい、と。
それだけの経験は積んできたつもりだ。
私の想像を遙かに超えた子ども達、クラスにしたい。
明日は、その一歩だ。
楽しい一日になるといいな。そう思ってゆっくり眠りたい。