2007年 01月 22日
1月22日 やりきれない気持ちで・・・
一昨日、我がクラスではないが、本校の保護者が亡くなられたことを緊急連絡で知る。
まだ、小さな子がいるというのに・・・。
放課後、今日は、学年会。
明日は参観日、書き初め展。その用意をする。
通夜が19:00からということで、社会科部の仕事を一気にやってしまうことに。
PDFファイル化する作業が終了。全部で50枚分の資料だ。
19:00、やりきれない気持ちで、通夜に参加。
きっと分かってないのだろう。残された小さな子達に涙はなかった。
その姿が、かえって痛々しい。
学校に戻って、学年の先生の明日の授業の準備を少しお手伝い。
帰宅後、よせばいいのに「たけしのTVタックル」(って名前だっけかな)を見る。
やっぱり、やりきれない気持ち・・・。
ここ数日、「教育再生会議」での報告案なども新聞に大きく取り上げられている。
それらを読んでいて、言いたいことは山ほどある。
でも、ここで、そんなことを書いても・・・という思いが強く、躊躇している。
でも、あまりにやりきれないので、二つだけ書いてみたい。
一つは、やり玉にあげられている「ゆとり」であるが、毎日新聞の1月20日付けの「社説」の内容に私は頷く点が多かったので、主要部分だけ紹介したい。
題名は「目指す学力とは何かを示せ」だ。
つまり、「ゆとり」化があげられた1996年の学力理念は、中央教育審議会答申の中に示されている。それは、「どう社会が変化しても、自分で課題を見つけ、自ら学び、考え、判断、行動し、よりよく解決する力」である。これは「生きる力」と要約された。
では、今回の改革によって、どのような学力を身につけさせたいと考えているのかが、はなはだ不明確ではないかという指摘だ。
言葉として繰り返されているのは、「基礎学力」。そして、代名詞のようになっているのが「読み書き計算」のように思う。
「読み書き計算」は大切だし、本校でも、特に力を入れている。でも、まさか、それで全てなどとは誰も思ってはいないだろう。
私は、「ゆとり」化の時の、学力理念は、そんなにやり玉にあげられなきゃいけない理念なんだろうかと思ってしまう。それを具体化する段階で、問題があったんじゃないんだろうかと思っている。
つまり、そこから先を、不明確なまま、現場に丸投げしてしまったことがまずいんじゃないかと・・・。
ならば、今回、学力理念も曖昧なまま、スタートしてしまったら、・・・・と、考えると、恐ろしいなあと思うのは、私の力不足なのだろうか。
二つ目は、教育現場に、企業の理念のようなものを入れようとするならば、どうして、民間企業から校長になられた方を委員に入れなかったのかなあと思ってしまう。
東京には、リクルートから校長になられた方、ベネッセから校長になられた方等がおられ、手腕をふるっておられるというのに、だ。
・・・・やりきれないけれど、時は止まってはくれない。
明日は、参観日。
子ども達のために、力がつくと信ずる授業をやり抜くしかない。それが、現場だ。