2007年 01月 08日
1月6日 「HOPE」(希望)・・・
・・・・懐かしかった。
広島で「ヒロシマ」という曲をビッグバンドで演奏されるという話があったのは、もう6年前か?
学年の先生と車で広島まで出かけていった。
その日は、広島に原爆が投下された日。
少し早く着いた私たちは、平和公園を歩いた・・・。
原爆ドームを見た。
・・・・初めてだった。
その日の夜、大きなコンサート会場は、満員だった。
その年の秋、穐吉敏子さんを小学校の体育館にお招きすることになっていた私は、満員の会場で演奏されるその姿に圧倒されていた。
そして、9.11。
アメリカで、あのテロリストによる爆破が起きた。
10月。約束通り、穐吉敏子さんは、小学校に来て下さった。
その時、全ての曲を弾き終えた後、私に、こう言われたのだ。
「あのね、糸井さん、もう一曲、弾きたい曲があるの。いいかしら。」と。
そして、弾いて下さったのが、今日、番組で取り上げられたいた「HOPE」(希望)という曲だった。ヒロシマという曲の中の一部分だ。
もう、何度も、その時のことは書いたかもしれない。だが、もう一度、書いておきたい。
その曲を聴いた時、私は、今までに体験したことのない感覚に襲われた。
それは、ピアノの音に包まれているような感覚だ。学年の子ども達、保護者の方々、それに、その時はテレビ局や新聞社の取材の方々がいらしたのに、私は泣き出してしまって、涙が止まらなくなってしまった。後にも先にも、音楽を聴いて、あんなに泣いたのは初めてだ。
曲が終わった後、穐吉さんにお詫びした。
「ご免なさい。「HOPE」(希望)って、曲なのに、泣いてしまって・・・・。」と。
すると、穐吉さんは、こう言われた。
「いえ、ありがとう。アメリカで演奏した時も涙してくれていた人がいましたよ・・・。」と。
番組では、この「HOPE」(希望)という曲に、谷川俊太郎さんが歌詞をつけ、それをマンディ満ちるさん(穐吉さんの娘さん)が歌われているところを放映されていた。
この曲に歌詞がつき、日本で、いや、世界で多くの人に聴いてもらえるといいなと心から思った。
78歳の穐吉さんは、今も変わることなく、お元気そうだった。
・・・よし、がんばるぞ。そんな元気をもらった・・・。