9月30日 歴史授業の楽しさ

本校に勤務して2年目。
2回とも6年生担任、2回とも社会科担当。
ということで、2年連続で歴史の授業を担当している。

授業研究の中心は、その時代を考えさせる「資料」を探すこと。
これに尽きる。
例えば、「長篠の戦い」では、よく行われている授業だが、「長篠合戦図屏風」を使った。
a0023466_8403049.jpg

この一枚の屏風絵で、武田の騎馬隊、織田の鉄砲隊のこと。
そして、「ウォーリーを探せ」のように、豊臣秀吉や徳川家康を探すといったこともできる。
決め手になるのは、その位置や、旗印。

でも、子ども達が気になるのは、屏風絵の真ん中に立つ一際大きな武将。
全身を黒い鎧兜で覆い、兜には角のようなものがついている。
この武将、まだインターネットも普及していない時代、クラスの子どもが鎧兜の本を読み、調べてきた。
あの時は、ちょっと感動したものだった。

今の子ども達の中には、既に、このレベルのことを知っている子もいる。
この黒い鎧兜の武将は、本多忠勝。
徳川四天王の一人。
織田信長にその並はずれた武勇を「花実兼備の勇士」と讃えられた武将なのである。

そして、今週は、やっと、関ヶ原の戦い。
ここでも、資料は、「関ヶ原合戦図屏風」
ここでも、まずは、徳川軍、石田軍を探せ・・・・となる。
子ども達は、長篠の戦いで一度やっているので、旗印を目印に探し出す。
徳川の家紋は、「三ツ葉葵」。
葵については、上賀茂神社の授業で扱っている。
そう、上賀茂神社は、「双葉葵」。
徳川の「三ツ葉葵」は、上賀茂神社の「双葉葵」がもとになっているのだ。

子ども達に、「じゃあ、石田三成の旗印はどんなのか知ってる?」
と聞くと、これが知っている子が何人かいるのです。
もう、戦国武将にはまりこんでいる子もいますので・・・。

そう、石田三成の旗印は、「大一大万大吉」です。
これは、、「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」という意味だそうです。

そうやって見ていくと、この関ヶ原合戦図屏風には、多くの旗印があるのに気づく。
「井」の形に似た大きな赤い旗。これは、井伊直政の軍。漢字がもとになっている。

そうやってみていくと、子ども達の中から、「本」と書かれた旗があることも発表される。
これが、何と、またまた、本多忠勝の軍なのである。

同様に、子ども達の中から出されるのが、「○の中に十」と書かれた旗。
よく知っている子は、島津の家紋であることを知っている。
そう、島津義弘の軍である。
島津義弘は、関ヶ原の戦いに西軍としてしぶしぶ参加し、形成が悪くなると、敵陣を中央突破して九州に引き上げたことで有名。
子ども達の中から、「島津製作所?」とつぶやきが漏れる。
「ん?本当だねえ。京都にある島津製作所と関係があるのかなあ」
と、言葉を返す。
また、私の方から、宇治に住んでる人いる?お茶屋さんのマークで似たのがない?
子ども達が「あっ!」と言って、「中村藤吉の暖簾!」と答える。
そう、宇治の老舗のお茶屋である中村藤吉の店のマークが、まさにこれなのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

帰宅してから、調べてみる。

すると、私が調べた範囲では、島津藩と島津製作所は関係あり。
島津藩と中村藤吉本舗は関係なし、であった。

島津藩と島津製作所の関係は調べてみると、実に面白かった。
こうである。

「薩摩の主の島津義弘は、関ヶ原合戦で徳川にやぶれた。敵陣を突破して伊勢から堺にのがれ、鹿児島めざして瀬戸内を帆走していた。おりから海上を暴風がおそい、義弘は難をのがれて明石に上陸、井上惣兵衛の手厚いもてなしを受けて、無事に鹿児島にもどった。義弘は井上惣兵衛の厚恩にむくいるため、島津の姓と家紋の使用を許し、槍と刀をあたえたのだという。
簡単に言うと、この井上惣兵衛の末裔が、島津の姓と家紋を使って、島津製作所をつくった、ということなのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

巡り巡って、歴史が、今、自分の住んでいる町に繋がっていることを知る。
歴史って、面白いなあ・・・・そんなことを授業をしながら感じている。
忙しいけれど、何とも幸せなことである。
[PR]

by sitoi | 2011-10-01 09:20 | Comments(0)  

<< 10月1日 当日参加も大丈夫です 9月28日 理由をつけて褒める、叱る >>