2011年 06月 12日
6月11日 真摯な説明が求められている
説明されても、それは専門的なことであり、よく分からないし、
だから、病院の先生のやる処置に疑問を持つことも少なかっただろう。
しかし、今、病院の先生にコミュニケーション能力が求められる時代になっている。
いやいや、本当の話である。
大阪大学て、平田オリザさんは、医学部の学生にコミュニケーション教育を施しているという話だ。
数少ない私の経験からも、病院による治療の方法は、昔に比べると丁寧で、分かりやすいものになっていると思う。
患者が病院を選ぶ基準も、
「あの先生は、いろいろ親身に話を聞いてくれる」
といったものもあるのではないだろうか。
私の身近では、そういう話を聞く。
だから、学校の先生などは、もっと説明を求められて当然なのであろう。
私は、電話はすごく苦手なのだが、
それでも、毎日のように、保護者に電話をする必要に迫られている。
「先生のやることだから大丈夫」
などと思ってもらえるなどと思っていては駄目なのだと思う。
それは、信頼されていないとかいう問題ではなく、説明が求められる時代なのである。
説明などというと大袈裟なものではなくて、
「今日、こんなことがありました。お家でも話を聞いてあげて下さい」
「今日、こんなことがありました。すごく頑張っていましたよ。」
「今日、こんなことがありました。学校ではこういう指導をしました。お家でも指導して下さい。」等々・・・。
プラス思考で考えなければならない。
説明することで、一緒に子どもの指導にあたることができる、と。
保護者からの連絡をクレームと思ってはいけない。
保護者からの連絡は、お願いなのだ。
どの親も一生懸命なのだ。
立場を代えて、自分を親の身になって考えてみれば、よく分かる。
どうにもならないこともある。
分かるけど、それはできない・・・・という場合がある。
そんな時は、真摯に説明し、「ご免なさいね」と、言葉を加える。
そんな繰り返しが、とても大切なのだと思う。