2011年 02月 26日
2月26日 続・穐吉さんとの思い出(4)
まずは、学年のことだ。
当時のクラスは、3クラス。
当然、宇治田楽の取り組みは、学年の取り組みである。
学年の先生には、本当にお世話になった。
次から次へと、いろんな提案を繰り出す私に嫌な顔一つせず(いや、たぶん嫌だったろう。鈍感な私が気づかなかったというのが事実のような気もする)行動を共にしてくれた・・・。
この一年で、私は、チームリーダーということについて考えざるを得なかった。
この年、NHKの仕事をしていたことを書いたが、そのプロジェクトリーダーのNHKの方が、最初の集まりで言われた言葉が今も頭を離れません。
こう言われたのです。
「みなさん、一年間、どうぞよろしくお願いします。こうして集まったみなさんと、やってよかった。幸せだったなあと感じていただけるプロジェクトにしたいと思います・・・・・・。」
「幸せにるかぁ・・・・」・・・・・。
仕事の場で、そんな言葉を聞いたのは初めてでした。
でもね、これって、とても大切な言葉だと思う。
子ども達はもちろん、教師も幸せになる取り組み。
向山洋一さんの書かれた言葉で、忘れられない言葉がある。それは、
「教室は子ども達が生きている場だ。同時に、教師が生きている場でもある。だから、その一瞬、一瞬を大切にしたい。」(ん?何かちょっと違うな?)
でも、意味は分かりますよね。私たち教師も、人生の日々を教室という中で過ごしている。それは、かけがえのない一日一日なのだ。だから、幸せな日々でないとね・・・。
だからこそ、チームリーダーには、参加したみんなを幸せにする責任があるのだ・・・。
と、話をもとに戻そう。
2001年、夏、穐吉敏子ジャズ・オーケストラが一躍、マスコミに取り上げられることとなった。
それは、広島から委嘱され創りあげられた大作「ヒロシマ―そして終焉から」という曲を8月6日、広島に原爆が落とされた日に、一夜限りのコンサートで披露するという記事だ。
8月6日は、夏休みだが、出勤日・・・となっていた。
学年の先生に話を持ちかけた。
「8月6日、昼から年休をとって広島へ行こう。私が車を運転する。とにかく、生の穐吉サウンドを聴いてほしい。」と。
8月6日、学年の先生方と一緒に、私は、満員の広島厚生年金ホールにいた。
ジャズオーケストラの良さは、安物のオーディオでは再現できない。
生の音に触れたとき、身体中にその音のシャワーを浴びた時、その素晴らしさを感じることができる。
そして、この夜は、この一夜だけのために創られた曲の発表である。
素晴らしいコンサートだった。
帰りの車の中で、興奮さめやらぬ学年の先生方と、二学期からの夢を語り合った。
身体は疲れ切っていたけれど、それは、幸せな時間であった。
あの広いホールを満席にされる、あの圧倒的な音楽を創り上げられる穐吉さんに子ども達の前で演奏していただけるのだ・・・と。
ヒロシマ そして終焉から
*この時のコンサートの様子は、「ヒロシマ そして終焉から」と題したCDとなって発売されています。